すてきな夜に

ただいま。先ほど帰ってきました。

今日は仕事の後、年下の友達の送別会に行ってきました。
彼女は、ホッピー氏の友だちで22歳。
大学を今年卒業して、少林寺拳法の師範(というのかな?)になるべく
1年間香川県の少林寺の専門学校に行くことになったのです。
ほんとうに良い子で、少林寺が大好きで
その話をしているときの彼女はキラキラと輝いていて素敵です。
仲の良い子たちで今日は送別会をしてきました。

さて、二次会は「デザートを食べ忘れた」ということで、
駅の上にあるマリオットアソシアでお茶。(既に22時を回っていたけど…汗)
高層階から見える夜景はすばらしかった。
そして!やはりケーキです!
調理師専門学校の先生をしているMくんオススメで
チョコレートを買って帰りました。明日食べるのたのしみ。




いや、いっぱい笑って、素敵なお茶をして幸せ気分だったのだけど
(明日も仕事だから、家帰ったらすぐ寝ようと思っていたのだけど)、
電車の中でこんなことがあったので、
そしていろいろ考えたので、記します。

名駅から電車に乗って立っていると
わたしたちのいるところから少し離れたところに、若い男の子が地面に座っていた。
各駅停車の電車で、彼は出入り口付近に座っていたので
降りる人たちの妨げになっていた。
わたしたちの乗った車両は最後尾で、
それを見た車掌さんが停車している時に彼の元に言って注意をしたの。
「危ないですから」とかなんとか。
しぶしぶ立ち上がった彼、突然持っていた空のペットボトルが入った袋でドアをたたき始めた。
と同時にドアを足で思いっきり蹴り始めて。
大きな音で何回も何回も蹴るので、みんなもびっくりして彼を見る。
でも彼は無言のまま、蹴り続け、そしてヘッドフォンからは大音量の音楽が漏れている。

駅にとまるたび人が少なくなり、彼は空いている席に座った。
でも顔は車掌さんに向けたまま。そして相変わらずの大音量。
と、ふと立ち上がって車掌室のドアをコンコンとたたく。
ドアを開ける車掌さん。
二人は何か話している模様。電車の音で聞こえないが彼が「満員電車じゃないのに…」とか言っているのが聞こえる。

そしてドアは閉められ、彼はまた地面に座った。
席はいくらでも空いているのに。
そして車掌室の車掌さんを睨んだまま。

岐阜駅が近づいてきた。
彼は立ち上がると、また激しくドアを蹴り続ける。
そして、地面を踏みつける。


この光景をわたしはずっと見ていた。
彼はどうしたらこころが穏やかになるのだろう、って。
いろいろ考えた。ちょっと悲しくなってしまった。
たぶん、わたしとそんなに年が違わないのに、とっても子供に見えた。
それは幼稚園生や小学生のような。いや、赤ちゃんに見えた。
声を出すわけでもなく、ただただひたすら蹴り、殴り続ける。
何が言いたいのかな、彼はどうしたいのかな?
自分の思い通りにならなかったことに対して腹がたっているのだろうけど、
どうしてそんな殴り続けるエネルギーが出てくるんだろう?
そういった行動を起こさせる、源はなんなのだろう?

いろんなこと、彼を見ながら考えた。
ほんとうに悲しくなった。
ドアを殴り続けるのは、自分を殴っていると一緒のことなのに。
痛くないだろうか?彼は彼自身のこころを傷つけていると。

わたしたちを取り巻く社会のことを考えた。
なるほど。
わかる気がする。
何が悪いかなんて、一概には言えないけれど
彼はきっと孤独なのだと思った。

殴ることで気が晴れるのなら良いけれど(いや、いけない)、
きっと殴る原因は、注意されたことじゃないと思うんだ。
自分を取り巻くもの全てに嫌悪を抱いているような、そして自分自身にも。
そんなふうに見て取れた。
たまたま注意をされたから、噴き出してしまったんじゃないかな。

この国は幼稚な国になった、と誰かがいった。
養老先生は「脳の発達」にも関係すると言っていた。
前頭葉の発達が未熟で、物事をよく考えることができなくなった。
考えずに行動してしまう、などということを言っていたような気がする。

たしかにそうだと思う。
精神的に未熟なのではないかと。
年をとることへの恐れ(アンチエイジングという言葉に代表される)、
外側から見た美しさ、若いことが良しとされる社会。
”アイドル”の低年齢化。「かわいい」という言葉。
幼い者が「セックスアピール」をするような服、文化。
「個」と「孤」、などなど。
アンバランスな社会。

どれもこれも、何か不自然な気がする。
そして精神との均衡がとれていないからとても危うい。
何も言わずただただ怒っているのに、
自分のこころの内側は暴力として表れている、というような。

ネットやゲームや、漫画やケータイがいけないというのではない。
使い方を知らないだけで、こんなにも人生が違う。
そして一番の人生の先生であるべき親が未熟なのではないか、とも思う。
ものに囲まれ、物質的には満たされてはいるけれども
こころはどうか。
与えるだけで、子供の家族のこころに気付いているだろうか。

電車の彼は、蹴り続け、大音量の音楽の洪水の中で何を考えていたのだろうか。

何かを話したくて(自分の正当性を主張することではない)、聞いてもらいたくて
自分を蹴ることでしか表現できなかったのだろうか。

いろんなことを考え、家までの間そのことについてずっとダンナと話していた。

わたしたちの子供が生まれ、大きくなるころはどんな日本になっているだろう。
そして、一番心配なのは、今日あの電車に乗っていた大人が
「ああ、また子供がキレている」と思い、
”日常の”こととして考えることを止めてしまわないかということだ。
考えることをやめてしまったら、それはもう彼らと一緒だ。







以上。長くなってごめんなさい。
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by ryo-5-1006 | 2006-03-31 00:25 | メモ


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